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わたしのストーリー  2009~

①俺は負けない!そしてあなたも負けない。(20代/5年) [がん経験者(男性)]

投稿日時:2009/08/15(土) 14:12

立場:がん経験者(男性)

がん告知時:20代後半

主治療後経過年:5年

 

               

リレー・フォー・ライフ実行委員のガン遍歴


ある「事件」が俺を襲った。。それは、突然のことだった。

俺は28歳で「癌」になった。。
当初は、驚きと恐怖が襲ってきたが、早期発見のため手術だけで済んだ。
それから、再発の不安はあったが、体調が戻るにつれ、不安も消え去っていた。


その矢先だった・・・・。
1年後、術後跡の痛みがあり、主治医のもとに診察してもらった。


「残念ながら、再発です。」


どこか遠くで聞こえているようだった。

ただ、自分でも驚くほど冷静だった。
なぜだろう?

おそらく29年だったが、悔いのないように
生活していただったろうか?
自分なりに、やりたいことはやったと思っていた。

けど、時間が経つにつれて、その冷静さは失われていった。この先の恐怖、家族のこと、友人こと
会社のこと、、、、いろんなことが頭をよぎった・・・。

そして、ある程度の覚悟をした。


「やれるだけやってみよう。まだ死ぬわけにはいかない。希望をもって、やれるだけやってみよう」
そう思った。

そして、いよいよ抗がん剤治療が始まった。
全身の血液中が悲鳴をあげるほどの「劇薬」が体内に送り込まれた。言いようのない倦怠感
吐き気、、、。生きてるようで、生きていない感覚。。
けど、この気持ち悪さが「癌」を退治しているのだと我慢した。
頭の毛は抜け、それは出家している「修行僧」のようだった。。。

そう、俺は修行に出てるんだ
そう自分に言い聞かせた。

5日間、24時間の点滴治療を行い、2週間の回復期間をおき、それを3クール繰り返した。
その間中、家族は毎日きてくれた。友人もたくさんきてくれた。


それを見て、俺は思った。

「絶対に生きてやる!」

この病気で失うものはあるかもしれない。けど、失うものが多いほど、得るものも大きかった。

俺の生き様を残してやる!

そう強く思った。

約3ヶ月の入院生活。最後の検査。
「腫瘍は全て消えましたよ」
主治医の言葉。。俺は、心で叫んだ。

「勝ったぜ!」

人間が最大の恐怖である病気に勝った・・・。
それは、
今後の人生に大きな影響を与えるだろう。

いや、この経験は必ず生かさなければいけない!
そう強く感じた。

退院して1週間。退院後の検査での異常なし。徐々に体調は回復していた。

いまだに「再発に不安」は確かにある。ときどき怖くなったりもする。
けど、いまはそれが俺の本来の姿。
すべてを受入れ、どう対処していくか、考えていこう。

人間は、そう簡単には死なない!

そう感じつつも、死へのイメージが拭いきれない。
誰もが死へ向かっている。どう死ぬか?が今後の俺のテーマだと思う。
あまり、細かい事は気にしないで思いっきりやればいいと思ったりもする。

「無駄に生きるな!熱く死ね!」

この言葉が俺のテーマだ。
何事にも恐れない強靭な精神力をつけよう!
強靭な精神力とは今日、明日では備わらない。
時間と経験が必要だ!
そうすれば、強靭な精神力が備わるはず!絶対に備わる!

そんなときに、NHKのテレビで「働き盛りのガン」の特集をやっていた。
リレー・フォー・ライフ主催者のシュウさんが出ていた。そこで、同じような不安を抱えて
いることを知った。
そして、日本でリレー・フォー・ライフを行うことを検討していると語っていた。
俺は、すぐにシュウさんにメールをした。
「何かお手伝いできることはないですか?」

ガンによって、不安だらけの生活で、自分と同じような人が、何かを起こそうとがんばっている。

ガンは一人ではない。そう、みんなで戦っていくんだ。
その考えに共感し、日本初のつくばから、リレー・フォー・ライフを見てきている。
俺は、その都度思った。

「俺は負けない!そして、あなたも負けない」

ガンで余命宣告されている人や、遺族や家族、友人。ガンに関わる人が1つの気持ちに
なって、乗り越えようとしている。
その気持ちこ
そが、このリレー・フォー・ライフ
なのだと思う。
そう感じている今日この頃である。
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<俺の病気履歴>
2003年12月10日・・・睾丸の異変に気づき、近くの「泌尿器科」を受診。インターネットで
情報収集し、「爆笑問題」の田中もなったことである「精巣腫瘍」(睾丸ガン)だとうすうす
感じていたが、泌尿器科の先生にも「悪性腫瘍」である疑いがあるので、大学病院へ行くこと
を勧められる。先生の紹介で、聖M病院か、K東労災、S大学Y市北部病院の3つを紹介され
「施設は綺麗で看護婦さん若いよ」の一言で、S大学Y市北部病院に決定。

12月10日は母親の誕生日。実家に「母さん、誕生日おめでとう。。。あ、あと俺、、
ガンになっちゃった」の報告。。。人生最悪の誕生日だったようだ。。(母)

12月12日、大学病院へ受診。案の定「精巣腫瘍」と宣告。緊急手術のため入院。

12月13日、朝9時、手術開始。

12月14日から、転移がないか調べられ、、

セミノーマのステージⅠ。転移はなし。予後のため、抗がん剤治療も考えられるが、
まだ未婚であるし、若いので「経過観察」で行くことに決定。
それから、毎月定期検査にかよう。。

2004年の4月頃は、季節の変わり目もあるが、「再発の恐怖」や諸々で精神的に
参ってる状態。。ちょっと情緒不安定時期・・。

2004年10月。体調も少しずつ回復し、気力もあがってきた。。いい感じ。

2004年11月。会社の野球にも参加できるくらい回復。。しかし、左足ソケイ部(術後跡)
に痛みを覚え、病院へ。

2004年11月8日。「リンパ節に転移性の腫瘍が3cmあり、抗がん剤の治療が必要」と宣告。
但し、通常の再発は痛みを伴わないので、再度精密検査。
やはり、転移性腫瘍のため、抗がん剤治療を。
その際、
抗がん剤の治療で「精子が死んでしまう」ことを言われる。ようするに男性不妊。
しかし、冷凍保存の方法をしり、「アモルクリニック」へ精子保存へ。。
治療内容は、精巣腫瘍の標準的な治療法。
BEP療法
 処方例
 シスプラチン20mg/体表面積1m2あたり静注第1~5日
 エトポシド(ラステット)100mg/体表面積1m2あたり静注第1~5日
 ブレオマイシン30mg静注第2、9、16日
 これを4週間ごとに3クール
1クールごとに、MRIとCTで腫瘍の大きさをチェック。1クール目から効き目が出て、この方法で行うことを選択。

2005年2月1日。約3ヶ月の入院生活から退院。
3クール目の時には、腫瘍の残骸らしきものがMRIに映っていたが、1ヶ月経過観察することに。大きくなってたら、外科手術で取り除くと。。。
1ヵ月後。検査結果で腫瘍は縮小してるので、このまま経過観察。

2009年8月。すごぶる健康!5年たったので、完治宣言!!


コメント


この文章を読んでいて、私も負けないと勇気がでました。
ありがとう。筑波で取材に行った時は、みんなの気迫に圧倒されました。
あの時参加した中で、天国へ行った方もたくさんいますが、みんな見守っていると思います。応援しています。だから頑張れ!

Posted by 石塚花梨 at 2009/09/23 11:12:13+09 PASS:
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